アラフォーコンカツ

女性:いいご縁があれば結婚したいという気持ちはある。ただしこの年齢で自分が「素敵」と思える人に出会えるのは奇跡だと知っている。

 

男性:いいご縁があれば結婚したいという気持ちはある。できれば子どもはほしい。ただし①そこまで絶対結婚しなくてはならないというわけではない。ただし②周りを見る余裕ができると既婚者ばかりで焦る気持ちはある。

 

私:間に挟まってみて言いたいことは山ほどあるけど、労を惜しむ。言葉を選ぶのも骨が折れ、相手に伝えたいことが伝わるまで言い換えるのも「果たしてそこに未来はあるのか?」と思ってしまってやめる。

 

結婚の難しさ。

 

 

フーフにまつわる独り言

『そうか、もう君はいないのか』城山三郎を読んだ。

一見、深い夫婦愛に裏打ちされたように見えるが、中の上というところか。

 

もし仮に夫婦の真価なるものがあるのだとしたら、それは永遠の別れの後に発揮されるだろう。

その点、この夫婦は理想とは言えない。死を以てなお活力を与える夫婦を目指したい。

否定をしてみる

否定してみる自分の為に

そんなんだから弱いんだ。弱いことはあまりに不幸すぎる。誤解しちゃいけない。君と云う男がダメということじゃない。不幸だということだ。
一瞬で気持ちが変わる。誰かを排除できる。苦悩の末に排除する。そうしなきゃ自分を守れないからだろう?
触れる面を減らせ。削れと必死なのか。指を咥えて座っていればいい。そこでずっともがいていればいい。


でもきっと母はそんな赤子を抱き起すだろう。抱きしめて背をさすり宥めるだろう。
誰かがそれをしてくれれば良いと思う。私は私の役割を終えたことを受け入れよう。私は抱きしめられなかったし,そんな気も起らなかった。
それでも信じていたいと思う。私が彼にかけた言葉が,過去の彼を励ましたことを。その時の力になったことを。
優しさだけで世界はできていないということが,いつか伝わる日が来るよう。そこに立ち向かえる日が来ることを。


それでも私は信じ続ける道を選ぶ。だってそれが道だから。
私の未熟さを恥じ,それを燃やして空に還そう。
届け。届け。

天使は瞳を閉じて * 虚構の劇団 @池袋GreenTheater

そうだ。そうだ。そうだった。コーカミさんと『核』は切り離せなかったんだった。そうなんだ。そうなんだ。きっとここから愛なんだ。
すっかり、忘れてた。
あの時は、本物の壁があった。総統がいた。そして、壁は崩壊した。
今は、見えない壁があるはずで、議長もいるかもしれないけど。
確かに私たちはそこから出られないでいる。
壁は崩壊するんだろうか。
壁の外には何が待ち受けているんだろうか。
分断の象徴は、私たちの何を断ち切っているんだろうか。


結末を知っている物語は、予定調和でしかないだろうに
優秀なジップロックにやられて、私はほんの少しだけ泣いた。
80年代後半の90年代前半の痛みとかなんちゃらとかにやられた。
あぁ、やっぱりこの戯曲、好きだ。



くそったれなVHSと戯曲しか知らない「天使は瞳を閉じて」は
芝居として、私の中で10年以上<誤解>されたままだった に違いない
芝居をなんにも知らなかった当時の私は、戯曲の言葉が空虚に感じられて
死んでいるとしか思えなかった
秀逸に音声化されなければ伝わらない言語なんて、と一蹴していた
お笑いの台本なんて、絶対に売れない、いや笑えないと思うし
お笑いの台本で笑えちゃったら、なんかもう…なんて言っていいのか…あぁ
完全に良く死んでいた



でも、それは間違いだった。
戯曲は、完全に良く死んでいるかもしれない
でも、常に新たな息を吹き込まれるのを待つ死体だ
眠るゾンビのようだ
いや、そもそもゾンビって寝るのか?
眠ったまま本当に死んでしまうものも五万とあるだろう
いや、むしろ
部品を新調し、電源を入れられるのを待つ人工物
未完成の鉄腕アトム
そりゃ3Dにだってなっちゃう


とにかく
それは私の眼前で本当に生き生きと私に訴えかけ、精一杯私にその真意を伝えようとしてくれた
息を吹き込まれた言葉が、畳みかけるような拍動を響かせる。まさに呼吸をしている
あの時どうしても分からなくて好きになれなかったケイが、愛しくてたまらなくなっていて
あの(かつては写真で)つるつるとしていたマスターが、円熟味を増して相応になっていて
生き返った人たちの誰一人欠けることなく、愚かで愛しい人間だった
どうしようもないジレンマに晒されながら、それでも見守る天使1のあの顔
優秀なジップロック万歳。



来月29になる。
音の付いた言葉を扱い始めた
当たり前のようにしていたことを突然奪われたらと思うようになった
思いを言葉にしなかったら、その思いは、射精されなかった精子のように蛋白質に戻って体内に吸収されていったり、するんだろうか。
痛みすら上手に感じられなくなって、滑稽でもいられなくなって、隠さなくたって平気になって、象徴も飽きちゃったよ
そろそろ進化の時でも来ちゃってるかな。



鴻上さん。ロンドンの夏は、暑いですか。ロンドンの若者は、怒りと絶望の中に希望を見つめていますか。
見えない壁を突き破れそうですか。
改めて、尽きることなく滲み出るその人間への温かな眼差しがやっぱり好きでたまりません。
では。




虚構の劇団 第7回公演「天使は瞳を閉じて」
作・演出:鴻上尚史
出演:大久保綾乃 大杉さほり 小沢道成 小野川晶 杉浦一輝 
高橋奈津季 三上陽永 山崎雄介 渡辺芳博 / 大高洋夫

公演日程:2011年8月2日(火)→8月21日(日)
会場:シアターグリーン BIG TREE THEATER

チケット代金:前売・当日ともに4500円(全席指定・税込)

生々しい感触の夢を見た。ざらついた感じや絞り上げられる感じ。
たまに懐かしい人の、私にとって都合の良い夢を見る。お気楽で幸せな脳だと思う。
どこで誰と恋をしようが、どこで誰に傷つけられようが、私の関与しないところだ。

第三舞台、幕。

81年結成。
私が生まれた時から劇団だった劇団が解散となる。
ぶいぶい言わしてた時代のことなんて、ちっとも知らないが、その痕跡だけはエッセイから伺い知れる。



私が第三舞台を知ったのは、1998年。
その3年後、2001年に活動を休止することを考えると、知らないに等しい。
私が人生で初めて買った戯曲は、『天使は瞳を閉じて』だった。
もちろん、英語版付き。
先輩からVHSを借りて、公演の録画を見た。
ひどい音と映像で、なんだかちっとも良さがわからなかった。
舞台を映像に残したものは、この先一生買わないと決めたのも、この舞台。


今年8月、この「天使」が再演される。
迷わずチケットを買った。
これで少しは、良さがわかるかもしれない。
大好きな戯曲が、きちんとした舞台で見られるのが、嬉しくて仕方ない。


鴻上さんのエッセイはかなり持っているけど、
第三舞台の戯曲は、それ以外持っていない。



10年
きっと誰の中でも答えは見えていたんだろうなと思う
モラトリアムや淡い期待を詰め込んでの10年だったんだろうなと思う
でも、夢からさめるには、10年必要だったんだろうなと思う


きっと、この10年に、一緒にたくさんの思い入れや思い出や希望を詰め込んだ人がたくさんいたんだろうな
このニュースを聞いて、パンドラの箱を開くように、その詰め込んだものが襲って来ただろうな
老いを感じ、若さを感じ、過去と現実と未来の同一線上を意識して、
ある人は微笑み、ある人は涙し、ある人は冷ややかに、たくさんの瞳が閉じられただろうな。



そんなたくさんの人が観に行くだろうから、チケットが取れるかわからないけど。
観に行けるといいな。
そして、未来を見つけられるといいな。



http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110721/ent11072112490008-n1.htm

新春


新年のご挨拶は割愛させていただきます。



さて、仏の顔も三度と申しますが、凡夫の私は到底仏の境涯には成れません。


本ブログは、本日をもちまして、無期限凍結といたします。
足をお運びの皆さまありがとうございました。
皆さまにとって、本年が素晴らしき年になりますように。
また、別の折にお逢いできればと存じます。
そのときはまた内々にご報告さしあげますので、これまで同様可愛がっていただけると幸いです。



ご健康とご多幸を祈りつつ




私の近況を気にかけてくださる奇特な方は、以下のアドレスまでご一報ください。
voluntas_ultimahotmail.com