斜陽の終わり、落日

会社にせよ学校にせよ巨大な組織が凋落していくのは現象として興味深い。

 

日常の、それはつまり「あなたの心のうちに起こる」不満や怒りや苛立ちに、関心を向ける気力も時間も私にはないということだ。それは個人の軽視になることは分かっている。

 

一方で、それを言ったところでどうなるのだろうかという視点を欠いているのに気付くだろうか。怒りや苛立ちや悲しみは、《私を軽んじられた》《私を大切にしてもらいたい》という感情だ。

誰かに大事にしてもらうことを望むなら、大事にしてもらえる振る舞いが必要となる。

相手が勝手に大事にしたくなってしまうようなやり方というものがある。

 

人の振りを指摘するならば翻ってそのまま自己への指摘になる。さて、私は他者にどう扱われたいのか。何が問題で、何を変えれば良いのか。

No. 1にならなくてもいい

小数点の割り算ができなくてもいい

数学が0点で理科が10点でもいい

ママもパパもありのままの私を愛してくれる

何かひとつ自分の好きなものをがんばったら良いって大好きな先生も言ってくれた

全部なんてできないし、できるようになりたいなんて思わない

このままの私で最高でしょ

 

アラフォーコンカツ

女性:いいご縁があれば結婚したいという気持ちはある。ただしこの年齢で自分が「素敵」と思える人に出会えるのは奇跡だと知っている。

 

男性:いいご縁があれば結婚したいという気持ちはある。できれば子どもはほしい。ただし①そこまで絶対結婚しなくてはならないというわけではない。ただし②周りを見る余裕ができると既婚者ばかりで焦る気持ちはある。

 

私:間に挟まってみて言いたいことは山ほどあるけど、労を惜しむ。言葉を選ぶのも骨が折れ、相手に伝えたいことが伝わるまで言い換えるのも「果たしてそこに未来はあるのか?」と思ってしまってやめる。

 

結婚の難しさ。

 

 

フーフにまつわる独り言

『そうか、もう君はいないのか』城山三郎を読んだ。

一見、深い夫婦愛に裏打ちされたように見えるが、中の上というところか。

 

もし仮に夫婦の真価なるものがあるのだとしたら、それは永遠の別れの後に発揮されるだろう。

その点、この夫婦は理想とは言えない。死を以てなお活力を与える夫婦を目指したい。